2010年7月26日月曜日

地域の話

豊橋公園内にある戦前の軍事施設の残存建造物について、少しまとめてみた。

ところで、母校の東校、ベスト16にまで戦い、よく頑張ったよ。最後は、全国制覇の中京だもの、諦めるしかないか。残念だけれど。

もう一つ、8月1日の設楽食フェスへの遠足、いかがですか。前のブログでも紹介してある。今から大人数は無理だけれど。単独で、フェスに行かれても面白いよ。

地域遺産をめぐる諸問題

わたしが所属している豊橋ユネスコ協会が、今秋11月6日と7日に、全国組織である日本ユネスコ協会の2010年度中部西ブロック・ユネスコ活動研究会を豊橋で実施する。今回の研究会テーマは、「特色ある地域ユネスコ活動の交流から学ぶ」。このテーマをもとに、地域遺産・未来遺産事業活動、平和教育・ユネスコスクール活動、世界寺子屋運動、青少年活動について意見交換するが、特に、地域遺産と未来遺産事業は、子供たちに地域遺産をどう教え、どのように未来につなげていくのか、などを課題にしており、豊橋ユネスコは、豊橋公園内に残されている戦前の軍事遺跡について話題を提供しようと考えている。また、この問題に関わっている会員は遺跡の確認と、その遺跡についての案内パンフの制作にも取り掛かっている。
この作業では、いろんなことを勉強させてもらっている。まず、豊橋公園はもともと第18連隊の施設のあったところで、当時、使われていたものがまだ残っている。そのことを、協会員の仲間と調べていくと、俎上にあげたものはいずれもなぞめいた建造物であった。一例をあげると、大きなものでは、三の丸会館脇から豊川べりに降りる坂の左側に立つ軍人記念碑(神武天皇像)、美術博物館脇に置かれた台座(この台座は、何のために残したのか、よくわからない)など。市民の目からすれば、そこに「ある」だけのものだが、「それは何」と問われると?マークがついてしまう。市が空襲に会い、燃えてしまったから、という理由は一応成り立つが、戦後、連隊施設の一部は中学の校舎や庁舎等にも転用されており、これらの建造物(これにも、該当しないかもしれない)だけがそのいわれがないのもおかしい気がする。
会員仲間は、公園が市の所有と思っていたら、土地は国のもので、あたりまえだが、使用目的は公園に限ると聞かされた。公園内にある建造物は、一応、公園管理が市にあり、財産として登録されていなければならないと考え、市の財産を扱う課に問合せ(何課かわからないまま)たところ、それらの建造物は財産登録されていない。国の機関である東海財務局に聞いてくれというので、確認を求めたところ、公園使用をうたった契約時の記録もないので、はっきりしない。今、残っている資料にも記載がないという。では、先の建造物は何か。
当初、パンフではなく、建造物を説明するプレートを作ろう、ということで、関係部署にあたり、調べてみたわけだが、どの部署も結論を出すことができず、
とりあえずパンフによる説明になったわけである。
先の、神武天皇像(軍人記念碑)であるが、これは、戦前、出回っていた絵葉書で数多く確認できたが、戦後まもなくの、状況や、今の位置に据え置かれた意味、そして、その前にある鳥居などは、信仰の対象なのか、歴史的意味を持った像(像が作られた由来などは、かつての新聞記事などから確認できる)なのか、解答を出す必要があるのではないか。
もう一つ、美術博物館脇の台座と、その先のトイレ脇にある門柱のいわれがなかなかわからなくて、苦労した。台座については、その上に何がのっていたのか、はっきりしない。記録がないのだ。ところが、たまたま公園管理課が保持していた切り抜き記事に関係者の名前と大砲のオブジェをのせた台座の写真があり、記事の確認に、関係ある札木界隈を訪ね歩いた。記事中に茶の文字があったため、最初は喫茶と考え、その店舗を探し求めたが、お茶の販売店と、間違いに気づき、関係のある札木界隈の古いお店を訪ね歩いたところ、誰も知らない。諦めかけて、最後に札木の校区である新川の市民館を訪ねたところ、居合わせた方が、そのお店について知っているとの返事をいただき、そのお店(今はお茶屋さんではない)訪ねた。息子さんから、記事中の写真の現物を見せていただき、やっとのことで、台座の上に何があったのかに、結論が出た。
その大砲のオブジェは今はないが、これをどう扱うか、考えなければならない建造物である。
さらに、未だにわからないのが、トイレ脇の門柱である。仲間たちは、将校クラブ(酒保か)へ通じる中門と、一応結論付けているが、確証はない。
いずれにしても、公園内にはなぞめいた建造物(像も含む)がある。
パンフ掲載は公園内のものだが、社会福祉施設000000裏にある陸軍墓地も、やはり、国の土地を市が墓地使用との契約で借り受けているものである。これも、市の管理ではあるが、何課が管轄なのか、明確でない。墓地の扱いについては、まだまだ調べなくてはならないが、名称をひろうだけでも、陸軍や個人墓など、戦前の事項であり、このまま、扱いをほうっておくと、公園内のなぞめいたものになりかねない。
戦後65年、市としても、ゴミのようななぞめいた施設や建造物等に対して、きちんとした戦後処理をしなければならない時期にきているように思える。

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