下に載せた写真、上一枚が吉田神社の笹踊り(お神輿の御旅所での撮影で、この笹踊りは一番最後につく)、真ん中三枚目の写真は、豊川の進雄神社の一名隠れ太鼓と言われているもので、お神輿が、進雄神社の本宮の稲田神社に向かう途中の街中に、鉾をしつらえ、その上で踊る。意味はよくわかったいないようだが、京都の八坂のなぎなた鉾の稚児さんや高山のからくり人形などに似ており、近隣では、牛久保、小坂井が形は違うが行われており、吉田ももともと行われていたようだ、祭礼の絵図などを見ると。
そして、二枚目と四枚目が豊川の笹踊り。吉田は歌い手はもういない。豊川は、若衆が唄を歌いながら、踊っていく。豊川は、吉田とは違い、先頭を歩く。露払いの役で、吉田は後塵を払っていく役か。
春の笹踊り、夏の笹踊り、そして、秋の笹踊り、似ているようで、似ていない。それに、吉田、豊川の頭は朝鮮の両班の被り物に似ている。もう少し、比較してみないと。吉田、豊川、牛久保、新城富永、三谷八剱の笹踊り関係者の集まりは、すでに一回目の会合を持っており、秋の祭礼前には、2回目の会合をもちたいと思っている。会合費など捻出するため、神野教育財団に助成の応募をしたが、残念ながらだめで、今年も、みなさんのお力添えで、一歩でも前にと、考え、笹踊りの比較をすすめたいと考えています。関心のあるかた、クロダまで、連絡ください。
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