2010年6月22日火曜日

今日の豊橋FM放送

FM豊橋でこの金曜日、午前10時から30分電波に乗せて、東三河の事話している、今週はこの豊橋の校区めぐりで、八町校区を歩いたわけだが、その多くを占める豊橋公園に絞り、話してみた。

豊橋ユネスコのメンバーもこの公園に残され、見捨てられている遺跡(一八連隊の遺跡)を掘り起こしているし。その簡単な台本を紹介しておく。

・第3週(ぶらり校区:八町校区)・豊橋公園って、戦前はなんだったか、知っていますか、のお話。

実は、先週の太田さんの話の続きで、豊橋公園全域と市役所、豊城中学などが18連隊の施設であった。その、痕跡の掘り起こしをユネスコ協会がやっている。9つほど、調べている。正門と守衛さんの立哨、馬頭観音、東門、連隊記念碑の台座、武人の像、油庫、タバコのはい捨て場、西門など、今見れば、僕はゴミと言っているものばかりで、誰も、見知っていない建造物に名前をつける作業をしている。・各地域での空襲体験も大切だけれど、体験をより鮮明に記憶として訴求していくには、やはり、モノが必要、創造できないでしょう。痛いとか熱いとか、いわれても。とにかく、まだ残されている施設などにネームを振る必要があるし、9月にはリーフレットもできるから、市民まつりなどの折には、ツア企画も計画しているので、見直してみて欲しい。・ところで、先日の太田さん、豊橋に海軍の船の特攻基地があったの知っていますか。太田さんしか今のところ、知っていない。朝倉川と豊川の合流地点にあったといわれていたけれど、これは、GHQがくる前に、跡形もなく、消滅させた。しかし、その他の施設は、僕の記憶の中にも、木造校舎(兵舎)の豊城中学は鮮明に覚えている。・しかし、その後の、公園、動物園が立ったり、体育館が建ったり変遷しているけれど、街中の一等地に刑務所があるのも面白いね。・八町で興味深いのは、井上靖のご両親が住んでいたという話、しろばんばなどに出ているけれど、その、場所がどこか、新聞には出たらしいのだが、なかなか見つからなかったけれど、国一からけやき通りを入った右の小路の角から2軒目の居酒屋さん。こんなふうにところで、この間、奥三河の件で英文と中国文を載せたけれど、COP10のエクスカーションへの取り組みも考えている。
5月23日に一度、紹介しましたが、慣れないもので、その後、6月6日の賀茂神社と照山ウオークは15人の参加をいただき、一応、成功しました。古い森の形態の痕跡を残す鎮守の森、照葉樹林の森はこの東三河にはまだまだ残されています。里山は注目されていますが、どこか、景観としての里山が一人歩きして、本来の里山の意味が消えているように思えています。ところで、僕の友人の豊根の仲間(女性で母親)が、奥三河についてのメッセージを作り、それをもとに、英語と中国語で翻訳してみました。10月に名古屋で開かれるCOP10の時に、エクスカーションとして、奥三河の一部でも世界のひとに見てもらいたいと思い、作りました。このブログで一応、発信しますが、世界につながるのかどうか、心もとないのですが、もし、わかる方がいらしたら、教えてください。メールでも、結構です。メール:l46hurh8@na.commufa.jp
以下は、中国語と日本文、そして英文です。
p1)奥三河 奥三河森林
森林作成者:愛知県豊根村 作者:爱知县丰根村
P2)奥三河 奥三河森林 森林
奥三河の場所 奥三河的位置愛知県を分割すると、名古屋、尾張、西三河、東三河、奥三河に分けることができます。奥三河は、広域では東三河に入り、豊川の上流域と天竜川の支流域が奥三河にあたり、新城市(旧鳳来町)、北設楽郡(設楽町、東栄町、豊根村)を奥三河といいます。
如果将爱知县进行分割,可以分割为名古屋,尾张,西三河,东三河,奥三河.奥三河,广域进入东三河,丰川的上游地区和天龙川的支流阶段在奥三河时,把新城市(旧凤来町),北设乐郡(设乐町,东荣町,丰根村)称为奥三河.

愛知県、長野県、静岡県の県境にあり、森林に囲まれた自然豊かな場所です。杉や檜が山肌を覆い、薄暗く感じさせていますが、紅葉時には杉や檜の緑が広葉樹の赤や黄色を映えさせてくれます。
奥三河位于爱知县,长野县,静冈县三县的交界处,是一处被森林环抱,自然资源十分丰富的地方. 葱葱郁郁的杉树和丝柏掩盖了群山的地表,使人觉得发暗.但是,到了秋天,杉树和丝柏的碧绿却恰如其分的映衬了阔叶树的赤红和金黄.
季節の色彩を肌で感じさせてくれるそんな場所です。
是一处可以让人亲身感受到季节色彩变换的地方.
奥三河の祭事・神事
奥三河的节日,祭神

・花祭り(東栄町、設楽町、豊根村) ・しかうち神事(東栄町)
・浴佛会(东荣町,设乐町,丰根村) 鹿内神事(东荣町)

・長者平の神楽(新城市) ・貝津田棒の手(設楽町)
・长者平的神乐(新城市) 贝津田棒的手(设乐町)

・御神楽祭り(豊根村) ・田峯田楽(設楽町)
・御神乐祭(丰根村) 田峯田乐(设乐町)

・参候祭(設楽町) ・富永神社祭礼(新城市)
・参侯祭(设乐町) 富永神社祭礼(新城市)

・鳳来寺田楽(新城市)
・鳯来寺田乐(新城市)

などがあります。
等等.

森林の現状 森林的现状私が知っている限りでは、奥三河というところはほとんどの山に杉、桧の木が多く植えられているということです。ほぼ50年前、ちょうど戦時中に植えられた木がほとんどだと思います。急斜面に植えられた木が、今は手が付けられずにいます。
\据我所知,在奥三河的大部分山上,都种植了杉树和丝柏.我想大部分大约是50年前,正好战争时期被种植的.被种植在斜面上的树木,到现在都让人无法着手.

山林をそのままに放置するとどうなるでしょう。木が大きくなるに従って枝が伸び、森に陽が当たらなくなります。そうすると地面に生えている雑草や野草なども生えなくなり、土がやせていきます。土地がやせていけば、そこに住んでいる動物たちにも影響が出てきます。動物たちの食べ物もなくなるわけです。そのため動物たちも命がけで、人間の住んでいる場所へ食べ物を求めてやってくるのです。これは人間が手を加えない限り、元には戻せません。
如果就那样放置山林任意生长的话会怎样呢.随着树木的生长,枝叶延展,森林无法得到充足的阳光. 地面上的杂草和野草等也会停止生长,土地就会变的贫瘠。一旦土地贫瘠,赖以生存的动物也将受到影响.由于食物变少,动物就会到人类生存的地方来获取食物.如果在这一点上人类不加以干预的话,整个森林系统将失去平衡.

昔、山林の仕事をしていた方々も高齢化し、山林を抱えていてもお金にはなりません。むしろ、お金を出して手入れをしなくてはいけないのです。それに山林や土地を持っていた方々も街へ出たり高齢化したり、世代が変わってそのままの状態です。
过去从事山林工作的人都上了年纪.即使拥有山林也不见得能赚到钱.反之还必须花钱来维护,打理山林.并且山林和土地的所有者也去了城市或者上了年纪.虽然到了下一代却还是保持那样的状态.

山に入るには山のことが詳しくないと入れません。山も財産です。よそ様の土地に勝手に入って山仕事は出来ないのです。木も同様です。勝手に伐採は出来ないのです。
对山林不熟悉的话不能进入山林.山林也是财产.我们不能自作主张的进入别人的土地去干活.树木也是一样.不能随意砍伐.

山の持ち主である地主の許可がいるのです。
需要山林拥有者的许可.

そして何よりも山師の仕事はとても危険です。経験も必要です。朝から晩まで山の中へ入り、急斜面での仕事をします。山の中は危険がいっぱいです。私も詳しいことはわかりませんが、命がけです。それでも昔の人は山の仕事に誇りを持っていました。山や木のこともたくさん知っていました。いつからこうなってしまったのでしょう。
采矿工作是十分危险的.需要丰富的经验.采矿者从早到晚在山林里工作.山林里有很多危险因素.虽然我知道的不是很详细,但确是十分冒险的工作.但即使是这样,以前的采矿者对于自己的工作都有一份自豪感.因为自己对山林的事无所不知,无所不详.

時代が変わり、山の仕事だけでは食べてはいけなくなりました。若い人達も良い仕事を求めて街へ出ていくようになりました。ちょうど高度経済成長期ぐらいからでしょうか、他の仕事もしながら、林業を営むようになりましたが、木の価値や山の価値は下がるいっぽうでした。そして、現状は高齢化してしまい後継者もなく、今でも山林の価値は全く上がらないままです。都会では土地の価格はものすごく高いのに。同じ日本でも全然違いますね。
时代变迁,光是山林的工作已经不够养活家庭了.年轻人为了找到好的工作离开故乡.即使是在日本高度经济成长期,一边做别的工作,一边经营山林,但树木的价值和山林的价值却是下降的.更何况,现在由于没有后继者,现在山林根本无法增值.但是大城市的土地价格确实居高不下.即使是在同一个国家,境况却完全不一样.

これからの時代、環境価値を付けて森林をもっと価値あるものにしていきたいですね。何事も循環が大切です。今后的时代,希望被附加上环境价值的森林能够更有价值.而要做到这一点,循环是非常重要的.

この自然に恵まれた場所=地球に生まれて、私たちは反省しなければいけません。あふれるように流れている川、緑の山と水は切り離せません。雨が降った山では、雨水をろ過して私たちの生活水にしてくれます。木の役割も大きいです。葉は空気を清浄し、根っこは土を流さないように固めてくれます。水のありがたみが薄れつつあります。豊富な水源は当たり前のように感じてしまいますが、もっと大事に使いたいです。そして、緑の森の中にも、平気でゴミを置いていく方々がいるのです。人気のない道路や林道の中で、それをみると悲しくなります。自分の敷地内にゴミがなければいいというような考えなのでしょうか。同じ地球なのに・・・。出生并且生长在这个受大自然恩惠的地球上的我们,也必须要时常反省.绿水,青山,两者不能割离.山林对我们非常重要.山上的降水,成为我们的生活用水.树木的作用也非常大.叶子可以清新空气,根部可以防止泥土疏松.可是人类对于水资源的感激之情却越来越淡薄.觉得拥有丰富的水资源是理所当然的事情.另外,还存在着一些人,能毫不在乎的将垃圾丢弃在森林里.当在一些不是很为人知的小路上看到这些垃圾的时候,我感到十分的悲哀.只要自己住的地方没有垃圾就可以了吗.我们是生活在同一个地球上啊.

このままの状態では未来の子供たちに森を残すことは難しいでしょう。
如果这样下去的话,我们很难能给自己的后代留下森林了.

私が言いたいことは、奥三河は自然豊かに見えますが、人間の知らないところで日々変化しているということです。山や木の価値が下がっている今、一本残らず切ってしまう方もいます。山肌が見える山も出てきました。
我想说的是,奥三河的自然环境虽然优越,但是在不知不觉中也在发生着变化.在山和树木的价值低下的现在,将树木全部砍掉的人也存在.直到砍伐树木到露出山的地表.

一本の木が今の大きさに育つまでには何十年と掛かります。人間のように手をかけてあげれば、価値も出てくると思います。ご理解いただければと思います。
将一棵树栽培到现在的高度和大小,需要几十年的时间.希望各位能理解.

このCOP10にご参加いただく方々に、奥三河の山林=自然について、少しでもご理解いただくために、ご案内いたしました。
为了能得到参加这次COP10的各位的更多的理解,我做了以上关于奥三河的山林和自然的介绍.   

次は英文です。
Okumikawa Region and Its ForestsWritten by Harumi KUMAGAIToyone-villege, Aichi prefectureLocation: Aichi prefecture can be divided into five regions; Nagoya,
Owari, Nishimikawa, Higashimikawa, and Okumikawa. Further, Okumikawa can be construed as a part of Greater Higashimikawa, and is composed of the upper Toyokawa river and the areas around the tributaries of the Tenryu river. Administratively it is made of Shinshiro-shi (formerly Horai-cho), Kita-shitara county (formerly Shitara-cho, Toei-cho, and Toyone-mura).This area is the cross-road of Aichi, Nagano and Shizuoka prefectures and it is filled with rich forests. Cedar trees and hinoki-cypress trees so thickly cover this area that we often feel that the sun light does not reach the ground. In autumn, these evergreen trees highlight the red and yellow colours of the deciduous trees. This is the very place where we can intimately feel the changing colours of the four seasons.Festivals of Okumikawa:Hanamaturi(‘The Hana Matsuri’ is a rare entertainment according to the Shinto rites.People dance 40 kinds of styles of Dance through out the night. Its descended from dignitaries who were from mountainside of Kumano and Kagahakusan,to the only the river system of Tenryu , during the end of the Kamakura period to the Muromachi period. And it was designated for an important intangible cultural asset in the 51th year of the Showa period.It is held at 11 different places including: Futto, shimoawashiro, Hukawa, Misono, kobayashi, Higashisomeno,Tsuki, Ashikome,Kawachi,Nakashitara, Nakazaike. in Toei city from the middle of November to the beginning of March. ‘ Toei festival’ is also held with the aim of showing widely about the highlight of the Hana Matsuri on 3rd November)of Toei-cho, Shitara-cho and Toei-cho,Deer hunting festival in Toei-cho,Kagura in Shinshiro-shi (Shinto shrine dance and music),Kaitsuta-bohnote in Shitara-cho (Martial art dance),Mikagura in Toyone-mura (Shinto shrine dance and music),Tamine dengaku in Shitara-cho (Rice fertility dance and music),Sanko festival in Shitara-cho (Buddhist temple festival),Tominaga Shrine festival in Shinshiro-shi,Horaiji Dengaku in Shinshiro-shi (Buddhist temple rice fertility festival).The Conditions of Our Forests in Recent YearsThe mountains of Okumikawa are densely covered with cedars and hinoki-cypresses. Most of them were planted about a half century ago during the Pacific War. These trees planted on the steep slopes are now outside the range of our forest maintenance works. What happens when these forests are not properly maintained? As the trees grow and branches spread out, the ground increasingly becomes devoid of sun light. Then the grasses and underbrush near the ground slowly die out and the mountains lose natural nutrients. As the ground becomes less and less fertile, the animals in the area become hungrier as their food sources become lean. Thus, in order to survive, these animals have to come out of the forests to find new food sources, and thus they encounter human beings. This situation will not return to the status quo ante unless we make a deliberate effort.Our present forestry workers are becoming old. Our forests no longer produce economic gains, and we in fact have to pay large costs just to maintain the forests in a reasonable state of health. Many owners of these forests have aged and moved to urban areas, and the forests remain in a dangerous state. In order to maintain the forests in a proper condition, we must have appropriate knowledge. To start with, these forests are private properties, and outsiders cannot just enter or work on them. The trees in these mountains cannot be just logged without permission of the owners.Above all, the forest workers’ task is dangerous and requires a lot of experience. From early morning till night fall, they often remain on the steep slopes to work. Their work many a time involves accidents and high risks. I am not speaking out of my own experience, but I know these workers do their work while risking their own lives. In the past these forestry workers were proud of their mission and were equipped with abundant knowledge of the forests. I sometimes wonder when our forest industry started to declineOur times have changed. We can no longer economically support our lives, working in the forests. The younger members of our society leave this area for towns in search of better paying jobs. Did this trend begin in the 1960’s? The forest industry has gradually turn into a part-time business, while the price of lumber and the value of mountains keeps falling. Now this industry employs only high aged workers and no young successors, and the value of the forest industry remains low. Meanwhile urban land prices soar.  What a contrast this is within Japan! We would like to see people paying more respect to our forest industry. Some sustainable life cycle must be established as these forests are an essential part of our life.We must seriously reflect on our present way of life as we are living in this unforgiving environment, called earth. Affluently flowing rivers and green mountains are an indispensable source of our water. Rain water is filtered by the mountains and becomes our drinking water. Trees also play a significant role in this process. Tree leaves clean our air, and tree roots keep the soil firmly on the ground. We often forget the value of our priceless water and we take for granted an abundant supply of water. We have to recognize the true value of this gift. We often notice some hikers and visitors, littering garbage all over the forests. When we actually see the garbage left on the trails and paths in the forests, we are truly saddened. Though sharing this earth, some people seem to think that all is right as long as the garbage is not dumped in their backyard. If this situation continues, we cannot leave these forests in good condition for future generations.The message that I really want to convey here is, that although the Okumikawa region may superficially appear filled with rich natural gifts, the general condition of our environment is constantly and quietly deteriorating in many spots. While the economic value of forests and mountains depreciate, some owners of these properties are clear-cutting all of their trees. Some mountains are denuded. A tree takes tens of years to grow like human beings. When we take proper care of the trees, the value of these trees will increase. I beg of your understanding on this point.I am presenting this case so that the participants of COP10 might understand the eco-system of our Okumikawa area better and further.

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